10月23日(土)に、時習サロン「歴史逸話二題」が開催されました。今回から幹事が代替わりし、時習31回生が初めて担当するサロンになります。
今回は時習31回卒業生の市川達也君(写真1:講師の市川氏)を講師に招き、日本の歴史にインパクトを与えた2人の人物について、エピソードを語ってもらいました。
昨年に引き続き、コロナ禍の影響下での開催となりましたので、幹事一同検討の結果、会場とリモートとの同時併用開催としました。サロンの大きな魅力のひとつである懇親会が行えなかったのは実に残念なのですが、卒業生が集う「場」としてのサロンを継続することは辛うじてできたと考えます。同窓諸兄姉のご教導、ご参加に感謝申し上げます。
今回の会場は、芝・東京タワーの北隣に位置する機械振興会館(写真2:東京タワーと会場(右))6階の会議室(写真3:会場の模様)。ここに28名、加えてZOOM参加17名の計45名の皆様にご参加いただきました。この状況下、またご多忙の中、まことにありがとうございました。
まず、講師の市川達也君をご紹介いたします。彼は61年3月生まれ、蒲郡市出身。83年名大工学部を卒業後、(株)デンソーでエンジン製品の設計に従事する技術者です。でありつつも、他方、30代から古代史の虜となり、次第に歴史全般をディープに愛好、愛好家サークル「歴史MIND」に属して、歴史本の出版(共著)、講演活動を展開。さらに人形劇プレイヤーとしても長く活動する多才の人です。コロナ禍という難局でのサロン開催にあたり、幹事としては、まず、なじみやすいテーマで語り慣れた講師を起用するのが最善策と考え、マルチな才能を発揮するユニークな語り手として市川君を起用しました。
今回、彼が提示してくれたテーマは「歴史逸話二題」(写真4)。かねて彼が講演の題材としてきた人物から、時代の転換点で大きな役割を果たした、さまざまな意味で対照的な顔をもつ2人のキャラクターを選び、あえて並べてみることで、参加者の皆様に知的興奮を味わっていただこうという趣向です。以下、ざっくりと講演の筋をまとめます。
●1159生、1189没
●生い立ちと性格 (軍事的才能と唯我独尊の気質、任官を巡る兄・頼朝との確執、英雄から一転して追われる身に、その悲劇性ゆえ後世の芸能の素材となる)
●伝説① 義経の首→討たれてから鎌倉へ首級が届くまで40日以上経過、このため首級が他人のものであるという説があった。頼朝も「偽首」に気づいていた? ここから、根強い「義経生存説」が生まれる
●伝説② 北行伝説→生き延びた義経が蝦夷地に至ったという説。東北、北海道に多くの伝承が認められる。江戸初期から唱えられた
●伝説③ 義経=チンギスハン説→いかにも荒唐無稽(チンギスハンの前半生は明らかにされている)だが、最初に唱えたのは独人医師のシーボルト(著書『日本』において)。彼と懇意だった間宮林蔵は幕命をうけ、義経の足跡をたどる。義経の伝説は700年に亘り、つねに時の政治・軍事に利用される宿命を帯びている
●1923生、2012没
●生涯 (ウイーンで誕生・両親はユダヤ系ウクライナ人、父はピアニスト。29年両親と共に来日、39年渡米、43年米国戦争情報局、『タイム』誌に勤務。45年再来日、GHQに勤務。47年退職、渡米。NPO「アジア・ソサエティー」等に勤務)
●日本国憲法立案の軌跡① 46年2月、日本政府の憲法問題委による試案(大日本帝国憲法の微修正)が新聞にスクープされる。これに満足しなかったGHQホイットニー民政局長(准将)が独自草案作成をマッカーサー最高司令官に進言。民政局メンバーによる草案作成開始。ベアテ(当時22歳)はその1人で「人権」担当。彼女の作成した条文草案は詳細に過ぎ、多くが削除されたが、周囲が「大胆」な内容と感じていた「男女平等」の条文は草案に残された
●日本占領における間接統治の構造(図説) 連合国での極東委員会とGHQ、日本政府との関係性の解説)。極東委の発足遅れのため、マ元帥は独自の占領統治を進めていた。連合国の意図は「日本の無力化」。政府試案を却下しGHQが独自に草案作成。キーパーソンはC.ケーディス大佐
●日本国憲法立案の軌跡② 46年2月、GHQ草案が憲法問題委・松本大臣、吉田外相へ渡る。22日、昭和天皇が草案を了承。26日、政府側対案作成、3月4日、対案をめぐり徹夜折衝。対案では「男女平等」が削除され、通訳にあたったベアテは失望したが、ケーディスの説得と日本政府側の好意的対応で、「男女平等」の条文は存続、妥結。3月7日、政府草案として新聞発表。ベアテの作成した条文は憲法24条として残る
●後日談 条文作成への関与は当時極秘事項で、マ元帥による箝口令が敷かれた。50年後の90年代半ばになって、ベアテは草案への関与を告白した
講演終了後、恒例のクイズコーナーへ。4択の難問(?)続きの結果、会場参加者の皆さまには、ほぼ全員に賞品をお渡しし、ご好評を得ることができました。
同窓の歴史好きな方々を前にしての講演ということで、「緊張した」と感想をもらしていた市川君でしたが、同期の贔屓目抜きに見ても流石に場数を踏んだ語り口でたっぷり聞かせてくれました。なんでも前日から東京入りし、品川・川崎方面の宿場・寺社を歩いたとか。また講演直後も、これから帰途に小田原で途中下車して古跡を巡りたいと意欲的なところをみせていました。この旺盛な探究心にあやかりたいものと幹事一同感じ入った次第です。 (時習31回生一同)